杉原千畝とは?
本名:杉原 千畝(すぎはら ちうね)
生年月日:1900年1月1日 ・・・ お正月生まれ
出身地:岐阜県加茂郡八百津町
学歴:早稲田大学高等師範部英語科予科中退
職業: 外務省職員、駐リトアニア在カウナス日本領事館領事代理
実はスパイだった?
まず、スパイ(英語: SPY)の定義から。
スパイとは、敵対勢力の情報を得るために諜報活動をする者の総称となっていますね。
第2次世界大戦では、ご存知のように、
イタリア、ドイツ、日本の3つの国が同盟を結んでいたのは御存知だと思います。
杉浦千畝さんは、1940年頃から後輩から紹介されたポーランドの将校といっしょに、
ピクニックという名目で、国境付近をうろうろしているのを
ドイツ軍に不審に思われていたようですね。
ポーランドは分類としては、敵国になるのです。
翌年には、敵国に融通していることが、ばれてしまったそうでして・・・
ドイツなどからは、「杉浦千畝はスパイ」だと言われることになってしまったようです。
外交官って、ある意味スパイみたいな職業ですよね?
駐在国に滞在して、情報を収集するのが仕事ですからね。
海外の反応は?
杉浦千畝は、日本に帰国後に外交官をクビになってしまっています。
海外の人々が、難民の方々に発給したビザは、
日本政府の許可がないままであったことを知ったのは1969年になってからだそうです。
「すばらしい業績を残した、千畝がなぜそんな処遇をうけるのか!」と、
世界中から批判があがったそうですね。
日本政府が公式に名誉回復させたのは、2000年10月10日です。
名言は?
いくつかの名言というか語録が残っていますが、
僕が感銘を受けたのは以下の2つです。1つめは、
「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」
神を背を向けてでも、頼ってくる人々を救いたいという、
千畝の気持ちが表れている語録だと思います。
キリスト教徒の千畝が、神に背を向ける覚悟があるのですから、
国の指示を無視するなんてたいしたことではなかったのかもしれませんね。
2つめは、
「世界は、大きな車輪のようなものですからね。
対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、
まわっていかなければなりません・・・。では、お元気で、幸運をいのります。」
— ビザ発給の際にある難民にかけた千畝の励ましの言葉。
助けられた難民の方々は、千畝が「神」に見えたことでしょう。
基本的に、千畝は戦争反対の立場だったんでしょう。
戦争は国同士の戦いで、罪のない国民を巻き込むなって!
心で叫んでいたんだと思います。
映画や記念館について
杉浦千畝の題材として演劇がこれまで、いくつか上演されています。
1992年(平成4年)、劇団銅鑼により『センポ・スギハァラ』として公演。
2008年(平成20年)吉川晃司が千畝役で、
『SE・M・PO — 日本のシンドラー 杉原千畝物語』として新国立劇場で公演。
その他にも演劇が公演されています。
もっと詳しく、杉浦千畝の事を知るには、岐阜県にある杉浦千畝記念館がお勧めですよ。
杉浦千畝記念館 外観
関東方面からは、東名高速豊田JCTから東海環状自動車道に入り、美濃加茂IC。
または、中央道 土岐JCTで東海環状自動車に入り美濃加茂IC。
関西方面からは、名神高速 一宮JCTで東海北陸道に入り、美濃関JCTで東海環状
自動車道で、美濃加茂ICでおります。
国道41号を北上し川辺町で国道418号にて10kmほどのところにあります。
映画も制作されることになったみたいです。(世界ふしぎ発見は、この映画の宣伝?)
「杉原千畝 スギハラチウネ」の映画製作報告会見が、5月19日に、
ザ・リッツ・カールトン東京で行われました。
主演は唐沢寿明さん。 監督はチェリン・グラック。
監督が日本人でないのは寂しいですね。12月5日より全国東宝系にてロードショーです。
文字じゃなくて、漫画で千畝を理解したい方には、これがお勧めです。
杉原千畝さんのように、同盟国ににらまれて、日本政府にも叱られても、
自分が正しいと思ったことを実行するというような、政治家や役人が居なくなりました。
そんな人ばかりでも、ちょっと困った状態になるのでしょうけどね。
でも、今の日本には、杉原千畝さんような、
強い意志をもって実行できる政治家は必要ですね。