横井庄一のグアムでの生活を世界仰天で放送!小野田寛郎との違い?

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13日放送の「ザ!世界仰天ニュース」で元日本兵で
戦争終結から28年もの間、グアムで生活していた
横井庄一さん(故人)のドキュメントが放送されます。

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8月は広島と長崎に原爆が投下され、
敗戦・終戦をむかえたということで、
テレビ番組でも原爆や戦争に関する番組が
多く特集されて放送されますよね。

 

放送では横井さんのグアムでの生活や母親への思いなどに
スポットが当てられるようですので、それにまつわることなどを調べてみました。

 

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横井さんのグアムでの生活

 

 

 

横井さんは終戦の1年前の1944年にグアム島に配属され、
ゲリラ戦を行っておられました。

 

1945年に戦争は終結したわけですが、
現地の兵士にはその情報は知らされませんでした。

 

終戦を知らされないまま、1972年に発見されるまで28年もの間、
横井さんと戦友2人はジャングルでサバイバル生活をすることになります。

 

終戦呼びかけはビラやスピーカーで行われたようですが、
横井さんたちは信用できなかったらしいです。

 

横井さんたちは敵に見つかるとヤバイからと、
タロフォフォ川流域のジャングル奥深くで、
自らが掘った洞穴で生活していました。

 

最後まで生き残った戦友2人は食中毒で亡くなられたそうです。

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ジャングルでの生活で衛生的にも良くない環境で
高温多湿なので虫も多かったそうです。

中でもゴキブリはひどかったそうで、横井さんはそれを少しでも
食べてもらうためにカエルを飼っていたそうです。
横井さんはそのカエルを唯一の友人と表現されていました。

 

1972年にエビやうなぎを取るためにワナを仕掛けに行ったところ、
現地の村人に発見され、57歳の時に日本に帰還しました。

 

現在、グアムで横井さんが28年間を過ごした洞窟は
韓国人が観光客向けに作ったレプリカだそうです。

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本物はそこよりもう少し奥にあったそうですが
台風で埋まってしまったそうです。

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ちなみに横井さんの暮らしていたタロフォフォ川のタロフォフォとは、
現地のチャモロ語で「明日への道」という意味だそうです。

 

帰国されてからの第一声で「恥ずかしいけれど、帰って参りました」といったことから」、
恥ずかしながら帰って参りました」という流行語にもなりました。

 

 

 

小野田さんとの違い?

 

 

 

横井さんの帰国から2年後、
フィリピンのルパング島で30年間も潜伏生活をしていた
小野田寛郎さん(故人)が帰国されました。

 

横井さんとよく比較される2人ですが、
どちらも国のために戦ったラストサムライであることには変わりありませんね。

 

ただ一般的によく言われていることは横井さんは、
軍曹で終戦を知らず、ジャングルで敵から逃れ、サバイバル術に長けていたこと。

 

小野田さんは少尉でスパイ活動などもしていて、
終戦も知っていた終戦後にもしばらくアメリカ軍がとどまっていたために
まだ戦争は終わっていなと考え、密かに「作戦」を行っていました。

 

帰国した際には「天皇陛下バンザイ」を叫び、
駆けつけた元上官から命令を解除されたりしたそうです。


先に帰国したからかもしれないですが、
横井さんはマスコミに過剰に扱われ、
ワイドショーや週刊誌にも引っ張りだされ、
周りにおだてられて参議院選挙にまで立候補したりしました。(落選していますが)

 

そんな横井さんの姿を見た小野田さんは、
親類をつたってブラジルに渡り、大牧場主となって余生を静かに送りました。

 

どちらがいいとか悪いとかではなく2人共、
戦争や時代に翻弄された犠牲者なんじゃないかなと僕は思います。

 

 

今回の放送のように、
毎年8月は戦争のやそれにまつわることを意識することが多くなりますが、
この話をきっかけにさきの戦争のことを忘れず、
平和を願う気持ちを持って行動することに気づくことができればいいですね。

 

 

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