古泉修が国立競技場管理人として語る!”聖地”への熱い思い!

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3月27日に放送される、「みらいのつくりかた」に

国立競技場管理人の古泉修さんが出演されます。

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30年以上勤務されているという古泉さんが見てきた様々なドラマ、

また聖地への熱い思いとは?・・・

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国立競技場とは

 

 

1958年から国民体育大会の会場として使用され、

1964年に催された東京オリンピックのメインスタジアムとして

整備され、現在の国立競技場となりました。

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その後サッカーやラグビーなどでも多くの名勝負の舞台となりました。

近年では音楽のライブなどでも使用されていますね。

 

以前は寒冷期には芝がすべて枯れ、

ピッチコンディションの悪さが指摘されたりしていましたが、

現在ではスタンドに入った時にまず目にする芝は、

コンデションを保つために、夏芝と冬芝とを入れ替えることによって、

1年を通して芝の状態を維持しているのだそうです。

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古泉さん以前、「海外で活躍している日本人選手がひどいピッチのせいで

良いプレーができないという話は聞きますが、

外国の方に国立のピッチが悪いと言われたことはほとんどないですね」

などとコメントされています。

 

また、1964年当時からさまざまな改修が行われてきたそうで、

陸上競技場の割にはピッチが近く感じられる設計になっていて、

スタンドが1階と2階で分かれておらず、

観客との一体感を生みやすい形状のスタジアムいう特徴があります。

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そんな国立競技場ですが、老朽化や耐震対策などへの対応で、

改修工事が行われ、より近代的なスタジアムとして生まれ変わります。

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現在は、様々な問題点も挙げられていますが、

2020年の東京オリンピックのメインスタジアムとして、

再び名勝負を見せてくれることでしょうね。

 

 

聖地への熱い思い

 

 

現在ではサッカーの聖地としてのイメージが強い国立競技場ですが、

古泉さんはそう呼ばれるきっかけとなった試合を2つあげています。

 

1つは1985年10月のワールドカップメキシコ大会のアジア最終予選の韓国戦。

ワールドカップ初出場への期待から、6万2000人の観衆が集まり、

2点ビハインドの中、木村和司の伝説のFKで一矢報いた、

日本代表人気の原点となった一戦です。

 

もう1つは1997年10月のワールドカップフランス大会のアジア最終予選のUAE戦。

1-1で引き分けて本大会出場が危うくなり、

興奮状態の観客が選手バスを取り囲んだ。

この後に競技場の周囲に柵が整備された。

古泉さんは「日本に物言う存在としてのサポーターが生まれた試合」

として記憶に残っているそうです。

日本代表の国立での成績は64勝36分け89敗と大きく負け越しているんですが、

負けや引き分けの歴史が「聖地」としての重みをつくったのでしょうね。

 

 

サッカーだけでだけじゃなく、最近ではコンサート会場としても

一部では聖地となっていますね。

初の本格的なイベントは1985年に開催された、

松任谷由実サザンオールスターズオフコース佐野元春らが出演した

伝説的音楽イベント「国際青年年記念ALL TOGETHER NOW」で、

その後近隣住民からの苦情が多く、しばらく開催されていませんでした。

 

2005年にSMAPが行ったんですが、また苦情が殺到したそうです。

現在では改修を重ね、今ではファンにとっては聖地となっているそうです。

 

DREAMS COME TRUEL’Arc~en~Ciel

ももいろクローバーZもコンサートを行い、3月29・30日にはAKB48も公演予定です。

 

5月17・18日にはポール・マッカートニーが再来日して、

海外アーティストしては最初で最後の単独公演をする予定も発表されましたね。

 

古泉さんは聖地に対する熱い思いとして、

「この形の国立を忘れないでほしい」

「これまでの歴史を引き継いで、また“聖地”なんて言ってもらえる場所になれば嬉しいですね」

とコメントされています。

 

番組ではどのように語られるか楽しみですね。

 

 

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