乾友紀子選手、三井梨紗子選手、二人とも、本当におめでとうございます!
66歳の誕生日に教え子たちから銅メダルをかけられたのは、厳しくも温かいシンクロの母・井村雅代コーチです。
スパルタ指導で有名な鬼コーチの目から涙があふれたシーンは、リオ五輪の中で一番感動を呼ぶものだったのではないでしょうか?
2014年に中国から戻ってきて、日本シンクロ界に見事メダルをもたらした井村コーチとは?
知っているようで知らない井村コーチについて調べてみました!
井村雅代のプロフィール
名前:井村 雅代(いむら まさよ)
生年月日:1950年8月16日(66歳)
出身地:大阪府
学歴:天理大学
職業:シンクロナイズドスイミング指導者/元選手
22歳の時行われたミュンヘンオリンピックに選手として出場した経験を持ち、その後は中学校の保健体育の教諭を経てシンクロのコーチへと転身した井村雅代さん。
1978年には日本代表のコーチとなり、1985年には自身の名を冠した「井村シンクロクラブを」を創設し、そこから多くの選手を次々にオリンピックへと送り出していきました!
井村シンクロクラブを創設するときは、以前に所属していたクラブからの軋轢で、「井村にプールを貸すな」という嫌がらせを受けたこともあった井村コーチ。
彼女はシンクロに対する情熱と、石のようにかたいシンクロ指導の理念をもっていたので、敵が少なくなかったようです。
井村シンクロクラブの功績はバルセロナ五輪で銅メダルを獲得したのを皮切りに、その後のオリンピックで毎回メダルを獲得するという華々しいものです!
アテネ五輪では銀メダルを獲得したことで日本人の間に広く井村コーチの名が知られるようになりましたが、彼女は一時期中国にわたることとなります……。
金子正子との確執とは?
こちらは(財)日本水泳連盟初の女性理事・シンクロ委員長、でシンクロコーチの金子正子さんです!
1944年生まれで東京家政大学を卒業後にシンクロコーチとして活躍を始めた金子さんですが、(財)日本オリンピック委員会強化委員・専任コーチを兼任するシンクロ界の権力者でもあります。
井村コーチより6歳年上の金子さんは、井村コーチが中国に渡ったときに彼女を「売国奴」呼ばわりしたと言われています。
売国奴っていつの時代やねん!
2008年の北京オリンピックにおいて井村コーチが開催国中国のコーチに召喚されたことについて、「金に目がくらんだ」という暴言もあったという金子さん。
二人の間に何があったのか詳しく知ることはできませんが、相当気に入らなかったんでしょうね……。
井村コーチは中国に渡る際こんな言葉を残して行ったそうです。
あんなやり方では日本のシンクロはダメになる
その言葉の通りだったのか、北京五輪では日本はメダルを逃し、中国が銅メダルを獲得しています……。
彼女の実力が日本のシンクロ界を支えていたことは、彼女が移籍したとたん強くなった中国のシンクロチームの功績を見れば火を見るより明らかです。
なんか、井村コーチってかっこいいですね!
家族は?
スパルタ教育で素晴らしい選手を次々と育てた井村コーチ。
シンクロ選手の育成に人生をかけたといっても過言ではない彼女は、66歳になる今も独身なのだそうです。
井村コーチほどの人なら、自分の子どもを産まなくても育てた選手たちが皆、自分の子どものように感じられることでしょう!
名言集!
一流の世界は固定化したものではなく、日々発展しているものです。同じ地点に止まっていたら、どんな人でも取り残されてしまいます。だから一流の人ほど、自分のことを一流だと思っていません。
私はコーチとしてよく叱ります。基本的には言いたいことは我慢しません。本音をズバズバ言います。嫌われるのは大いに結構。「好き」だなんて言われたら、キツイ練習をしにくくなりますから(笑)。
もちろん長所を伸ばすことは大切です。でも、短所や苦手なことに目をつぶるのは絶対に駄目です。短所を克服することを避けていると、それが引け目になって精神的な弱さにつながるんです。そして「いざ」というときに、その弱さが出て致命傷につながってしまいます。
こんなにもわかりやすい言葉で思いを伝えられるという一面を見ても、最高の指導者であるのが一目瞭然ですね。
アスリートのように叱られて伸びようとは思いませんが、金メダルを取ろうとする人間にはこんな指導者が必要だと思います!
著書について!
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どの本もかなりの高評価で、特に学校の先生やスポーツのコーチなど、指導者という立場にある人たちから愛読されているようですね。
叱ってばかりいるだけでなく、相手の悪い部分を指摘した後は、直す方法を教え、本人が納得したかどうか確認するという井村コーチ。
偉大な指導者の言葉は、なかなか思うように仕事をしてくれない部下を持つ上司の皆さんにも重宝されるかもしれませんね!