真田丸38話!九度山で信繁が販売していた真田紐とは?

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真田丸の中で主役を食っていると言われ続けた名将・真田昌幸がついにこの世を去りましたね……。

どんなに年を重ねても徳川をいかに倒すかという事だけを考え続けた昌幸。

本多忠勝や加藤清正はまさかのナレ死(亡くなったとナレーションされるだけ)でしたが、やはりこの人の最期はキチンと見送れてよかったと思います。

真田丸38話のあらすじや、蟄居中に作られたという真田紐について調べてみました!

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真田丸38話のあらすじ

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※ネタバレしてます!

関ケ原の戦いで徳川軍が勝利をおさめ、徳川から離反した真田昌幸(草刈正雄)と信繁(堺雅人)は九度山に蟄居を命じられました。

1601年の正月。

九度山の真田屋敷では浅野の家臣である竹本義太夫が蟄居に関しての注意を昌幸たちに話していました。

・昌幸たちがこの地を抜け出ようとすれば見張りがすぐに知らせることになっている

・九度山の村長である長兵衛に挨拶にいくように

「ごゆるりと余生を送られよ」

そう言い残して竹本は立ち去りました。

信繁は村長の元へ挨拶に行くことに。

長兵衛をはじめとした村の面々は、真田家が九度山に蟄居されたことを快く思っていないようです。

「一日も早くご赦免となってこの村を去っていただくこと、みな祈っております」

「蟄居って、しばられたり牢屋に入れられたりするのかと思ってた」

真田の里での思い出をきり(長澤まさみ)と信繁が語り合っていると、背後から音もなく春(松岡茉優)が現れました。

「父上様がお呼びです」

昌幸の元に、信之(大泉洋)から文が届いていました。

昌幸は信之が名前の「幸」の字を捨てて徳川家に忠義を誓ったことに落胆し、信繁にこんなことを言います。

「おまえが幸の字をもろうてくれんか?」

「私がですか?」

「真田……幸信繁」

「……考えておきます」

上杉景勝は、徳川家康に謝罪して会津120万石から米沢30万石に減封されることになりました。

いずれは上杉を頼るつもりでいた昌幸の思いはついえてしまいます。

慶長八年(1603年)2月、徳川家康は征夷大将軍となり、孫娘の千姫を豊臣秀頼に輿入れさせました。

家康が浮かれている今、赦免を申し出るにはいい機会だと見た昌幸たち。

たびたび伊豆守信之に文を出しますが、家康にその文が届いても、家康は中を見ようとしません。

それから二年後、家康は征夷大将軍を秀忠に譲ります。

その機会に乗じて再び、昌幸たちは赦免を申し出ます。

しかし、家康はその言葉を聞こうともしません。

「佐渡守、われらの前で二度と安房守の話はするな。あの男はもう、死んだのだ」

秀忠がそういうと、本多佐渡守はただ、頭を下げるだけでした。

慶長11年。大阪城で、豊臣秀頼主催の大掛かりな鷹狩が行われました。

豊臣秀頼は、立派な若者に成長していました。

九度山での暮らしに慣れたころ、信繁は北条氏直の墓参りに来た江雪斎に再会します。

信繁は久しぶりの再会を喜び、江雪斎に言いました。

「私も蟄居暮らしにすっかり慣れました。特にやりたいこともありません」

「いや、おぬしのまなざしの奥に、くすぶっている熾火が見える。いずれ誰かが、その火を求めにこよう。楽しみにしておるぞ……真田左衛門佐」

九度山の真田屋敷に長兵衛率いる村人たちが集まってきました。

長兵衛は昌幸に戦い方を教えてくれと言い出します。

「隣村のやつらが、この村の薪を盗みにやってくる。もう我慢ならない!」

長兵衛たちは、昌幸が二度も徳川の軍勢に勝利したすごい侍だという噂を耳にして頼りにしてきたのです。

「敵は? 手勢は?」

「敵は50 手勢は20」

「倍以上の的と戦うときは、真正面から攻めても勝ち目はない、そういうときは、20の兵を二手にわけ……」

昌幸はそこで言葉をつぐみました。代わりに信繁が口を開きます。

「太閤殿下は、村同士の勝手な戦いを禁じている。もしその戦いで死人が出れば、村長は磔の刑に処されるのだ」

長兵衛たちには、見張りの浅野家臣を頼るように告げて帰らせました。

慶長15年、本多忠勝がこの世を去りました。

慶長16年4月8日家康は二条城で秀頼と会見しました。

二人きりで会見したいと申し出る家康の言葉を無視して、加藤清正はいつまでも秀頼のそばを離れようとはしませんでした。

家康は立派すぎる秀頼の姿に圧倒され、秀頼が名を名乗っただけで深く頭を下げます。

「ご無沙汰しておりまする」

秀頼との会見の後、本多佐渡守と家康は向き合って話していました。

「あれはほんに、秀吉の息子か?」

「なかなかの若武者ぶり……まずいことになりましたな。豊臣家もつくづく運がない。二代目が凡庸であれば、しぶとく生きられたものを」

「その前に、あのひげ面じゃ」

本多佐渡守は二代目服部半蔵の存在をにおわせ、ほほ笑みます。

加藤清正はこの会見から肥後に戻る船の中で病を発し、2か月後に命を落としました。

九度山の真田屋敷では、昌幸が最期を迎えようとしていました。

「遺言じゃ、しかと聞け。いずれ必ず、徳川と豊臣がぶつかる。その時はここを抜け出し、豊臣につけ。これより話すは……徳川に勝てる唯一の策。まず、手持ちの軍勢をもって真っ先に尾張を制する。徳川が攻めてきたら、頃合いをみて尾張を捨てる。いったん近江まで引くのだ。一時でも尾張を抑えたということが大事よ。日本中の、徳川に不満を持つ大名の心をつかむ。二条城を焼き払えば、徳川勢は大阪に攻めかかるしかない。それを、大阪城で迎え撃つ。戦は長引かせるだけ長引かせよ。その間に徳川に対して各地で反旗が上がる……負ける気がせん」

「父上ならきっとうまく運ぶでしょうが、私には、場数が足りません」

「わしの立てる策に場数はいらぬ。ただ一つ心得よ。軍勢を一つの塊と思うな。一人一人が生きて、一人一人が思いをもっておる……それをゆめゆめ忘れるな。疲れた……」

「信濃に、帰りたかった……上田の城に。……御屋形様、御屋形様!」

昌幸は九度山のふもとの村から一歩も外に出ることがかなわないまま、その生涯を終えました。

感想や視聴率

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常に野望を抱き 大ざっぱに見えて先々と細部をきちんと計算し尽くし おちゃめなところもあるが 勝ちに行くためにはどんな策も講じて実行に移す 多くの戦国武将が実在するが まさに戦国の世の申し子のように現れ時代を生きた昌幸

今回のお話では印象深いキャラクターが3人も亡くなってしまいましたね……孫の大助に、いじめられっ子に対抗する方法を教える昌幸の姿、ほほえましかったです!

真田丸38話の視聴率は15.7%でした!

サムライの紐として大人気?真田紐とは!?

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九度山に蟄居を命じられた際、生活費の足しにするため信繁たちが製作し、販売していたといわれているのがこの真田紐(さなだひも)です。

織り機を使用して作られた真田紐は、丈夫で伸びにくかったことから、重いものを吊るすときや荷物を縛るときに重宝されたようです。

しかし、この真田紐の知名度を上げたのは紐の品質だけではなく、真田家が作っているというブランド性がウケたようですね!

実はほかの武家でも、この紐は製造していたのだそうです。

真田昌幸といえば戦国時代に二度も徳川軍を破った名将。

その強い真田家が作った紐として、行商人は声高に街を売り歩き、かなりの売り上げを上げたそうです。

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今では見た目の美しさに凝った真田紐も多く出回っていて、「サムライの紐」ということで、外国人観光客にも人気がある商品なのだそうです!

真田紐専門店の通販サイトを覗いてみると、カラフルで柄にも凝った紐が数多く並んでいるようです!

由緒正しきサムライの紐、もしかしたら2016年後半に大流行したりして??

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