おんな城主直虎8話のあらすじやネタバレ!感想や見逃し配信も調査!


出典元:https://www.instagram.com/p/BQnR_anhSHh/?taken-by=nhk_taiga_naotora

なつ役の山口紗弥加さん、2月14日のバレンタインデーが誕生日だったみたいですね!

いつまでも若くておきれいです!!

このショットはインスタにアップされていたものなんですが、事情を知らない人が見たら、財前直見さんの誕生日かと勘違いするかもしれませんね!

おんな城主直虎8話のあらすじやネタバレ、見逃し配信に関しても調べてみました!

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おんな城主直虎8話のあらすじやネタバレ


出典元:https://www.instagram.com/p/BQzq45VBviO/?taken-by=nhk_taiga_naotora

8話では、夫婦になった井伊直親(三浦春馬)としの(貫地谷しほり)の間に子が授からないことで、次郎(柴咲コウ)としのの間に火花が散るそうです!!

許嫁だった女性が夫の周りにうろうろしていたら、本妻の気は収まらないでしょう……。

次郎に二人の中を邪魔するつもりなど毛頭なく、政次(高橋一生)に子を授かるための薬を手に入れるよう頼み込んだりもするようです。

しかし、予告動画ではしのが次郎に喧嘩を売るような形になっていて、次郎が「引導でも渡してやろうか!?」と怒鳴ってました!

この言葉がしのに向けられたものかはわかりませんが、引導を渡すという言葉の正しい意味を調べたところ……。

人々を導いて仏道に入れる。葬儀の時、死者が死を悟るよう僧が唱える法語のこと

何かをあきらめさせるときに使う言葉というイメージはありましたが、まさか、死者に死んだことを悟らせる意味があったとは……。


出典元:http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story08/

一方駿府の今川屋敷では、今川義元が息子に家督を譲って尾張攻めの準備を始めることになり、直親もその戦に加わりたいと願い出るようです。

※放送後の追記です!

しのと直親は夫婦になって4年も経つのに子供に恵まれず、しのは次郎に対してあからさまに敵意を表します。

しのの妹と小野玄蕃の間にも子供が生まれ、瀬名姫と松平元康の間には次々と子供が授かると言う知らせが入るなか、千賀と直盛は直親に側女を持たせることも検討し始めます。

次郎はしのの気持ちを和らげようと、子供の頃直親の父から贈られた鼓を売ってお金を作り、子作りに効くと言われる妙薬を手に入れます。

しかしそれをしのに差し出すとしのは大いに拒絶しました。

「次郎さまは、わたくしに子ができぬほうが良いと思うておられる方ではないですか」

次郎が大事な鼓を売ってまで手に入れた薬を『子供ができなくなる毒』だと言うのでした。

今川の戦に参戦することになった井伊でしたが、初陣に期待を膨らませる直親に直盛は、留守居を命じます。

跡継ぎがいないのに戦に出すわけにはいかないと言うのです。

直親も跡取りについて真剣に考えるようになり、側女を置きたいと申し出ます。

直親の側女候補が井伊の屋敷に現れ、しのにもそのことが告げられると、しのは書置きを残して姿を消してしまいます。

「次郎様、お恨み申し上げ候」

全ては次郎のせいだと言って短刀を自分の喉に突きつけたしの。

次郎は必死に止めようとしますが、しのは聞く耳を持ちません。

次郎が「ならば死ねばいい。正室がいなくなれば都合がよい」としのをあおると、しのは怒りに我を忘れて刀を次郎に向けました。

影で見ていた傑山が間に入りことなきをえましたが、直親に側女を置くのはあと1年待つ事になりました。

今川の尾張攻めの支度は着々と整っていき、井伊直盛や小野玄蕃らが出陣していきます。

感想や視聴率


出典元:http://network2010.org/article/1158

桶狭間の戦いでは、三河のぼんやりと呼ばれていた徳川家康がキーパーソンになって織田方が今川義元の首を獲ったと言われています。

井伊直盛もこの戦で命運が尽きた武将ですね。

歴史を見ていくと、井伊家の男性は散々な目に会ってる人ばかりですね……。

貫地谷しほりさんはさすがB子、ウジウジ演技がうまい。 でも、コドモができないで1話使うのはな~と。 だって、次回は桶狭間でしょ?もう少し隣国との関係がわかるような内容にしてほしい。

しのちゃん、プライドもあり素直にもなれず泣き虫で、絶妙にめんどくさいおなごでしたね!

おんな城主直虎8話の視聴率は13.4%でした!

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見逃し配信は?


出典元:https://www.photo-ac.com/main/detail/602404?title=頭を抱える&selected_size=s

きちんと録画セットしたハズやのに録画できてへん……。

そういう時ありますよね。

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「NHKオンデマンドは、NHKの番組をあなたの見たいときにいつでも見られるサービスです。

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桶狭間の戦いの史実は?

桶狭間の戦いは1560年6月愛知県の桶狭間という地で勃発しました。

息子に家督を譲った今川義元は当時41歳で、隠居するほどの年でもなかったようですね。

一般的には大軍を率い優勢だった今川勢を織田信長が策を弄して打ち取ったと語り継がれているよううですが、ほんとのところはどうだったのでしょう??

戦いの日、今川の軍勢は4万。対する織田の軍勢は4千。

どう見ても織田が劣勢で、今川は織田の砦を次々につぶしながら桶狭間に進みました。

しかし、この次々とつぶされた砦こそ、織田信長の策だったと言われているんです。

一つの砦に500名ほどしか兵を置かなかったと言う信長は、今川義元を調子づかせて油断させる事を狙っていたと言います。

そして、案の定調子に乗った今川義元は、地元の農民にこう声をかけられたそうです。

「もう信長の時代じゃないです。この領地を勝ち取った暁にはどうぞよしなに、さ、前祝しましょう」

義元や兵たちには大量の酒や食べ物がふるまわれたと言います。

朝から3つの砦をつぶしてきた今川軍の兵士たちはこのもてなしに甘え、腑抜けになったところを打ち取られてしまったと言われています。

ところで、桶狭間の戦いに参戦した井伊家はどうなったのでしょう??

今川家の配下にいた井伊からは直虎の父である井伊直盛が出陣しています。

今川義元を失った今川の軍が総崩れした後井伊直盛は、君主の後を追うと言う形で切腹し、それに続いて16人もの家臣が切腹をしたと史実には残されています。

その中には鶴の弟である小野玄播の名前もありました……。

井上芳雄ファンが玄播ロスを叫ぶ日ももう近いということですね……。

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