真田丸44話!真田丸の跡は心眼寺と三光神社?アクセスや見所は?

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歴史にもしもはないといいますが、真田丸を見ているとそのもしもをどうしても考えてしまいますね!

ついに真田丸が完成し、平野口は真田の赤一色になりました!

真田丸44話のネタバレを含むあらすじや、真田丸が築かれた場所が現在どうなっているのかについて、住所やアクセス方法なども調べてみました!

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真田丸44話のあらすじ

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※ネタバレしてます!

五人衆の軍議により、城から討って出ることが決まったにもかかわらず、結局秀頼(中川大志)の一声でその案は覆されてしまいました。

徳川家康(内田聖陽)のもとには、密書が届けられていました。

「籠城に決まったとのこと」

「これで、勝ったのう」

真田幸村(堺雅人)は、大阪城の見取り図を見ながら、一番の弱点である南側に白い碁石を置いて考えていました。

「ここに出城を築く。敵は必ず南に陣を敷く」

堀田作兵衛が大阪城入りしました。

「江戸を発つ前に、すえが仮祝言を挙げました」

すえの結婚を喜ぶ幸村。

幸村が作兵衛の手を握ると、作兵衛は頭を下げて涙を流しました。

信吉と信政が成長し、徳川秀忠の軍について大阪に進行していると作兵衛たちは幸村に告げます。

平野口に出城を築くことにした幸村。

大野修理にその提案をすると、修理は笑いました。

「同じ提案をしたものがおりますゆえ、そのものと話してくだされ」

幸村と後藤又兵衛(哀川翔)は酒を酌み交わしながら話し合います。

「なにゆえ平野口に砦をと思った?」

「あそこに砦を作ればだれでも攻めたくなる」

「やはり又兵衛は死ぬ気だな」

「俺はもう許しをもらったんだ」

逆木と乱杭を設置して敵を誘導する。

下段と上段に分かれて鉄砲隊を置き、細い道に押し寄せてきた敵を次々に倒す。

わきの虎口より一気に攻め込む。

左衛門佐の布陣は完璧なものでした。

「面白いじゃねえか」

又兵衛はその話を気に入ったようでした。

しかし、有楽斎はなおも牢人が信じられぬと言い続けます。

有楽斎も大蔵卿も、左衛門佐の兄が徳川についたことを引き合いに出し、要所には信用できるものを配置すべきと言いました。

大野修理は抑え込まれ、布陣は書き換えられてしまいました。

毛利勝永は立ち上がりました。

「もうよい、ここに俺たちの居場所はないぞ。徳川につこう」

キリシタンの明石全登以外はみな、豊臣を捨てて城を出ていこうとします。

幸村は立ち上がり、茶々に話を通すと伝えます。

茶々に直談判に来た幸村。

「味方同士は、信じあわねばなりませぬ」

茶々はかるたをひろげて、まともにとりあおうとしません。

「殿下がなくなってから、豊臣家をずっと守ってきました。秀頼殿が成人してからはずっと任せてきました」

茶々は、すべての牢人は信じられぬが、幸村だけは信じると言いました。

「そなたの出城だけは作ってもよいとするのはどうじゃ?」

「牢人全員を信じてもらわなくては困ります」

「それはなりませぬ」

結局茶々の許しをもらえなかった幸村が立ち上がり部屋を出ていくと、修理がやってきました。

「もうよい、腹はくくった。思うようにされよ」

修理は秀頼たちには内緒で、出城を作ってよいと幸村に許可しました。

すぐに平野口に出城つくりを始めた真田の軍勢。

「鎧を集めてくれ、色は赤。真田の兵は赤ぞろいと世に知らしめるのだ」

一方家康は、秀忠をしかりつけていました。

「ずいぶんと、早かったのう」

「父上が戦支度をしたことを耳にし、関ケ原の二の舞にならぬようにと」

「そなたは考えが浅い!そなたは将軍。ゆったりと進軍すればよいのだ!」

家康の命を受け、全国から大名たちが集まりました、その数は30万にも上ります。

真田家では、まつが陣に向かおうとするのを綱家が引き留めていました。

「女人が陣に行くことなど、許されませぬ」

その時、ちょうど踊り子の一座が真田家のすぐそばで舞のけいこをしていました。

「座頭!私、昔座頭に拾っていただいた踊り子の藤です!」

座頭は二代目になっていたのでまつとは初対面でしたが、先代から踊りが下手なおなごを拾ったという逸話を聞かされていたようでした。

「これから徳川の陣を回って舞を披露することになっているんです」

「それなら!」

まつは踊り子たちに紛れ込んで徳川の陣に忍び込むことに。

陣に乗り込んだまつは信吉と信政に伝えました。

「敵陣に、叔父上がおります。真田どうしで刃を向けあうことはならぬ」

戦が始まったら真田勢はできるだけ後ろに控え、戦に加わってはならぬということをまつはしっかりと真田の軍勢に告げました。

「思えばわしの人生は、ずっと耐える人生であった。14年前の戦でわしだけが徳川につき……大名となったが、うれしいことは、一つもなかった。いつになったら、わしの心はやすらぐのだろうか」

信之はお通に、誰にも話さない心の内を明かしていました。

信之は、京が戦場になることを案じて、通を江戸に呼び寄せたのでした。

出城作りをしているところに、有楽斎がやってきました。

許可していない出城つくりを知り、有楽斎は修理を責めました。

「なぜ勝手な真似を」

大蔵卿も修理を責めます。

「左衛門佐の父は、裏切りに裏切りを重ねて生き延びた男」

秀頼は、有楽斎の言葉に顔をしかめます。

結局真田の出城つくりは、有楽斎の一声で取りやめとなりました。

やぐらから夕日を眺めていた幸村。

下から幸村を見上げた勝永と又兵衛が「ともに城を出よう」と誘います。

しかし幸村は「豊臣を見捨てるわけにはいかない」と断りました。

そこに、秀頼公が直々にやってきました。

「左衛門佐……豊臣を見捨てぬというのは、誠だな?」

秀頼の前に膝まづく牢人たち。

「この出城、仕上げよ、私が許す。私はそなたらを信じておる」

「戦になれば存分に働き、命を懸けて殿様をお守りいたします」

「頼りにしておる」

家康は住吉に布陣、秀忠軍は平野口に布陣しました。

信吉の陣は東側、そして伊達や上杉が来ていることを知った幸村は、不敵に笑います。

家康の陣では、家康が大名たちをねぎらっていました。

「大阪城に立てこもり、世の安寧をおびやかす不埒ものたちを、これより成敗いたす!難攻不落と呼ばれる大阪城だが、立てこもるのは有象無象の牢人ども。われらの勝利は疑いなしじゃ!」

自信満々だった家康は大阪城の布陣のなかに、真田の名を見つけて憤ります。

「真田!また真田か!」

急ごしらえで作った出城が、完成しました。

六文銭の赤い旗が、塀のまわりにぐるりと並び、櫓から見下ろしていたのは、真田幸村と高梨内記でした。

「城の名はどうなさいますか?」

「決まってるだろう、真田丸よ!」

感想や視聴率!

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オープン二ングをエンディングに持ってくるというだけの演出なのだが、「幸村」のあの台詞のあとだけに「高揚感」がまるで違う、挾土氏による題字をまた別の意味で確認でき、面白かった!

エンディングで真田丸という文字が破壊されるのを見ると、史実を知っているだけに切なくなりますね。

真田丸44話の視聴率は15.3%でした!

真田丸所在地は心眼寺と三光寺!アクセスは?

そもそも真田丸とは、戦国最後の戦の時に、真田幸村が築いた最後の城のことなんですね!

名将真田安房守の息子が作っただけあって、そこかしこに勝つための仕掛けがちりばめられ、大阪城の前に立つ鉄壁となって守りを固めたといわれています。

しかし、後日真田丸は取り壊されてしまい、堀を埋める材料にされてしまったようですね……。

徳川の軍は数で圧倒的に豊臣軍に勝っていたにもかかわらず苦戦したのは、真田丸のせいだとのちの世まで語り継がれているわけですが、現在真田丸があった場所は三光神社と心眼寺という建物に代わっています。

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こちらは心眼寺です。

右上のところに真田家の六文銭を記した旗が掲げられていますね!

このお寺は、1622年に白牟和尚が真田幸村と真田大助の冥福を祈るために作られた寺だったのですが、それが公に認められたのはなんと2014年のことだったそうです!

その理由は、当時の大阪が徳川の配下にあったから、というもの。

それにしても江戸幕府が滅びてずいぶんたつのに、なんだか融通が利かない感じがしますね。

地図で見ると、心眼寺と三光神社はこういう位置関係にあります!

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玉造駅からほど近い宰相山公園内の、東に三光神社が、西に心眼寺があるようですね!

駅からは徒歩5分ほどの距離です。

そしてこちらが三光神社の幸村像です!

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三光神社には戦の時に使用された抜け穴などもあるそうです!

三光神社

住所:大阪市天王寺区玉造本町14番90号

電話番号:06-6761-0372

大阪冬の陣で、鉄砲隊を二重に配置した幸村の軍が大勝利を収めた場所と言われているこの場所。

実際に行った人に感想を聞いてみたら、「幸村の像の身長が意外と低かった」なんていうガッカリエピソードも……。

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